富士高圧ガス工業のホームページにようこそ!
当社は社名の通り高圧ガスの販売をメインといたします
販売会社です。
しかし、それだけではありません。
例えば、ガス切断に代わる切断用刃物、循環型社会で不可欠の廃プラスチック用粉砕刃物、大型の減速機、 効率よく冷却するスプレーノズル等も取り扱っております。
販売会社といいますと単なる取次ぎをするイメージがありますが。
当社は配管工事をはじめとする各種工事を手がける「手」、安全確実にお届けできる「足」を備えた「手足のある 販売会社」を目指しております。
当社の社会的役割・責任はお客様の要望とメーカーとの情報の交換を正確に仲立ちすることです。
効率よく高圧ガスをコントロールするにはどうすればいいんだろう?
効率よく材料を切断するにはどうすればいいんだろう?
効率よく暖めるにはどうすればいいんだろう?
効率よく冷却するにはどうすればいいんだろう?
等々
発足当初は高圧ガスの販売のみでしたが歴史を重ねるに従いお客様の要望にお応えして高圧ガス以外の取扱商品を増やしてまいりました。
このホームページですべてを語ることは不可能です。
お困りことが有りましたら私どもとご一緒に解決の方法を見つけましょう。
新元号になり当社の基盤であるガス事業のさらなる強化と、あらゆる機会を捉えて新商材の発掘を続けてまいります。
令和元年年5月
代表取締役 谷屋 利隆
会社の略歴
富士高圧ガス工業 創立50周年にあたって 2021 年12 月10 日
2021 年7 月7 日当社は創立50 周年を迎えました。これを機会に社歴を振り返りたいと思います。
当社は1971 年7 月7 日富士高圧ガス㈱として創業いたしました。先代は東洋化工材に勤務し
1952 年より日本鋼管殿の高圧ガスの納品管理を担当し始めました。1966 年頃鉄鋼各社は増産を
目指し、その結果液体酸素不足になり、各社全国のメーカーから酸素を調達いたしました。先代はその
先頭に立ち日本鋼管殿から大きな評価を頂き、その後絶大な信頼を得る要因となりました。その後
自主独立の志をもって、日本鋼管殿の指導の下、新会社を設立し、すべてのガスメーカーの窓口として新
会社を経由するようになり、会社の基礎が出来上がりました。その後日東化学殿(現三菱ケミカル)
ニチアス殿、日本カーボン殿等とも取引を開始いたしました。創業当時の鉄鋼業界は1970 年年間粗鋼
生産量1,289 万トン(世界5 位)ではありましたが、急激に成長する環境にありました。京浜地区の
小規模高炉を取り纏め大きな一貫製鉄所の計画が進められました。1971 年12 月に扇島建設工事
起工式が執り行われ、1973 年8 月京浜地区より扇島地区への移設が開始され、当初は船舶による
輸送でしたが1974 年6 月トンネル貫通7 月には扇島大橋が竣工し陸路が完成しました。同年12 月
に扇島高炉の鍬入れ式が行われ、1976 年11 月12 日一高炉の火入れ式が行われ関連工事の完成
となりました。1979 年7 月12 日に二高炉関連工事が完成します。
工事に使われたすべてのガスの供給を当社1 社で行いましたが、完成後のガス需要減を想定し、ガス
以外の商材を扱うという意味を込めまして1973 年4 月1 日工業を付け加え富士高圧ガス工業㈱と
いたしました。1977 年東商店の経営を引き継ぐことになり、得意先(I 社・D 社・T 社等)新商材として
塗装機を加えました。1980 年代にはスプレーノズル(当初CC 冷却用)コールドソー(当初ビレット
切断)の新商材を販売開始しました。1990 年頃には鉄鋼を取りまく環境が厳しさを増し、日本鋼管殿
は京浜製鉄所の高炉を一本休止して合理化を進めるとともに新規事業に取り組まれました。1992 年
綾瀬に半導体製造工場を完成させ、当社は事業所内に事務所を開設し供給を担当いたしました。
1999 年日本カーボン殿も横浜工場の閉鎖・滋賀工場への統合を実施され当社はその窓口として
採用されることになり、その動きが全国の工場への売り込みに続いていきました。2000 年には独SGS 社
と提携し、ガスクロ分析によるダイオキシンの濃度の測定事業を開始いたしました。その後新規取引先と
してN 社C 社Q 社Y 社とも取引を開始いたしました。
創業当初桜本の京浜高圧の事務所2 階に本社を置き、渡田小径管工場にボンベ置場・倉庫・詰所
を借用してスタートしました。1979 年6 月現在地に本社を建設し移転いたしました。構内事務所等は
小径管工場増設の為1988 年10 月1日池上配送センターを開設し池上旧エネセン事務所を借用し
移転いたしましたが、事業環境が厳しさを増し2009 年4 月1 日両所を統合し現在に至っております。
鉄鋼事業は韓国中国の成長が著しく1996 年中国が1 億トン(日本9,880 万トン)の大台乗せ
それ以降世界一の生産を続けております。現在では8 億トンになっております。リーマンショック以降金融面
でも中国の存在感は増しております。日本の鉄鋼業は環境の変化に対応すべく、2003 年4 月JFE 殿
発足2012 年新日鐵住金が誕生(2019 年日本製鉄と改称)しました。今後も生産設備の合理的
な運用を模索し続けるものと予想できます。近々JFE 殿には生産体制の見直しが実施予定ですが、今ま
で同様知恵を出し工夫を重ね、着実に前に進みたいと思います。お客様を第一に考えていけば必ず道は
続くと信じております。